取材活動のスタートとして、ただ何となく試合を眺めているだけのところから始まったのは前回でも触れている。
その頃は、現場で取材したものをラジオパーソナリティーである私の声でお届けするという形式で放送をしていた。
ただ、私の声がリスナーに対して、会場の状況や雰囲気がきちんと伝わっているのかが疑問だった。
それを解決させるために、私は様々なことに挑戦する。
今回からしばらくは私がこれまで作ってきた視点づくりについて書いていきたい。
バスケのリング下で実況を収録してラジオで放送
メディア関係者の多くは、メディアに所属しているか、所属先から独立してフリーランスで活動しているかのどちらかだろう。
私は元々メディア関係者ではないし、どこかのメディアに所属していたわけでもない。
取材活動を始めたころは、建築業界でサラリーマンをしていたため、足を突っ込もうとしていたメディア業界からは「変な奴」扱いをされていた。
これは現在でもそうだと実感している。
もっと言ってしまえば、当時は現在のようなライター活動をしていなかったため、本当に取材で見てきたものを言葉で伝えることから始まった。
淡々とラジオでその試合の模様を私なりに話すところから。
しかし、しっくりいっていないようにも感じる。
取材を通して感じた臨場感がラジオで伝えきれていない。
リスナーからすれば「バスケットボールの番組」と期待していたはずなのに、すっきりしないと思われているのではないだろうかと。
この頃は、どうすればバスケットボールの試合における臨場感をが伝えられるのか、常に考えていた。
考えた挙句アイデアとして思いついたのが、会場でバスケットボールの実況を収録して放送する「マンティー実況」だった(現在は未実施)。
実況をする。子どもの頃、テレビでプロ野球の放送を見ていた時に、アナウンサーが実況しているところを真似していた。
しかし、大勢の人前で話すときに手が震えて緊張するぐらい苦手だった少年時代の時に、将来アナウンサーになりたいという願望は多少あっても、親や学校、友達の前で口には出せなかった。
社会人になってからは、様々なきっかけより人前で話すことがどんどん楽しくなっていく。
結婚式のMCを習うところからアナウンサー教室へ通い始めた。
その後、紆余曲折を経て、インターネットラジオでパーソナリティーを始めるわけだが、この頃には人前で話す仕事をしたいと考えるようになっていた。
今でも思うが、スポーツ実況は難しい。
目の前に起こっていることを言葉にしないといけないからだ。
私はバスケを音声だけで実況しようとしたので、初めのころは選手の名前やコート上の状況を瞬時に言葉として出せず苦労した。
今でも全然できていないが、経験を重ねると一応それなりにはなっていく。
文字として書くのとは違って、速効性や正確性が求められるので、言葉をアウトプットする訓練として役に立った。
専門用語も調べたし、常に手探り状態、試行錯誤の連続で、本家のメディアからは「何を考えているのだろう」と思われていたのかもしれないが、その頃はお構いなしにそのスタイルを貫き通し、やり切ったことで取材をやっていく自信にも繋がった。
おかげさまで、京都ハンナリーズブースターを中心にラジオのリスナーも増え、私における取材活動の基礎が作られていく。
このスタイルを続けていくと、試合の状況をメモしないといけないことに気づき、得点経過や選手のファウル数、リバウンドを単純に羅列していた。
現在でも試合経過は記録しているが、取材活動の一環として記録を始めたのはこの頃からだった。
2013年に会社の転勤で東京に移住しても、取材のスタイルを変えることはしなかった。
関西在住の頃は、エンドラインでブースターに交じって実況収録をしていたが、関東に拠点を移したときは、カメラ撮影も兼ねてリング下のスチール撮影エリアで収録を実施していた(現在はBリーグではスチールエリア、プレス席での録音は禁止)。
2015年7月には勤めていた会社を辞めて個人事業主に転身しても、この取材スタイルでやれるという変な自信があった。
しかし、2016年のBリーグ開幕をきっかけに取材スタイルの見直しを迫られたのだった。