文 マンティー・チダ
バスケットボールBリーグのアースフレンズ東京Z(以下 東京Z)を運営する株式会社GWC(代表取締役山野勝行)は7日、ハンドボールチーム「アースフレンズ」の設立、宮﨑大輔がチームの監督兼選手として契約合意したことを発表した。
東京Zは2026年から始まる新しいBリーグにおいて「新B1を目指す」と山野代表が公言。1試合平均入場者4000人、年間売上(事業収入)12億円、クラブが優先的に使用できる5000人以上の大規模アリーナの確保、新B1のライセンス要件として掲げられるチャレンジをこれから始めるのだが、ここに山野代表は「アースフレンズ」というハンドボールチーム設立のチャレンジを加える。
その「アースフレンズ」の監督兼選手として迎えられるのが、山野代表曰く「ハンドボール界の宝」と最敬礼する宮﨑大輔だった。
海外のプレー経験や五輪予選にも主力として出場、テレビ番組出演からハンドボール人気に貢献
宮﨑は恐らくハンドボール界において、一番名前が知れ渡っている選手と言っても過言ではないだろう。
ハンドボールの名門である大分電波高を卒業後、こちらも伝統校の日本体育大学へ進学する。大学2年時には全日本学生ハンドボール選手権大会(インカレ)で日本体育大学を2年連続で頂点へ導き、宮﨑は最優秀選手となった。3年時から約2年間大学を休学してスペイン留学後、2003年には日本リーグの大崎電機へ加入。日本リーグでは2019年に日本体育大学へ3年生として再入学するまで、通算11シーズン在籍。2004年に最高殊勲選手賞を獲得するなど、数々の賞を受賞した。2009年にはスペインリーグ1部CBアルコベンダスの入団テストに合格し、1シーズンプレーをしている。
オリンピックへはアテネ、北京、リオデジャネイロと3大会の予選に選出されるが、残念ながら本大会への出場は叶わなかった。
宮﨑は、テレビ出演を機にハンドボールの知名度アップへ一役買っていた。2006年のテレビ番組に初出場で優勝すると、2008年には同じ番組で再び優勝し、2009年には連覇を飾っている。放送後には、ハンドボールの観客が増加し、プレーオフの前売りチケットが史上初の完売を遂げていた。
感謝や恩返しの気持ちを持つこと、練習を選手からやるチームができれば強くなれる
宮﨑は3月に再入学していた日本体育大学を無事に卒業するが、昨年6月に肩の手術をしていたため、トライアウトへ参加できていなかった。そこにオファーとして舞い込んだのが、新規チーム「アースフレンズ」の監督兼選手だったのである。
山野代表と宮﨑が出会ったきっかけは、共通の知り合いから紹介されたことだった。トライアウトに参加できず、所属チームが決まっていなかった宮﨑の元へ、山野代表から声がかかる。
「大輔、ハンドボールを一緒にやらないか」
宮﨑は「正直、大変うれしかった。気が引き締まる思い」と喜んだ。山野代表は「宮﨑のハンドボール界に対する思いやハンドボールをメジャーにしたいという気持ち、海外で経験してきたことやケガで苦しんでいても、必ずもう一度上に行くという思いに共感した」と宮﨑へオファーを出した決め手を話す。
「来年のJHL参入を目指し、若手をどんどん起用してエネルギッシュ溢れるチームにしていきたい」とは山野代表。Bリーグ「アースフレンズ東京Z」では、若手を多く入団させて多くの経験を積ませている。そのノウハウをハンドボールチームにも組み込もうという考えだ。「ハンドボール日本代表が世界で勝つために貢献していきたい」とヨーロッパの育成型クラブを目指す考えを示す。
会見の最後に宮﨑へこんな質問を投げかけてみた。
「監督として、一人の選手として一緒に戦う選手へ伝えておきたいこととは何ですか」
すると、宮﨑からこんな答えが返ってきた。
「私はこれまでハンドボール界で生きてきて、感謝や恩返しの気持ちを持つことが大切だと考えています。練習においてもやらされているのではなく自分からやる。そういったチームができれば、これから強くなっていけると思います」
宮﨑は自身がパイオニアになることで、ハンドボールをメジャーにしてきた自負がある。これから始まる新チーム「アースフレンズ」における宮﨑の挑戦は、監督と選手という2足の草鞋を履くだけでなく、練習拠点や選手が全く決まっていないといった未知なるものまで含まれていた。これまでの選手生活においては、競技環境に恵まれていたのかもしれない。ハンドボールのチーム作りにおけるものがほぼない組織において、これまでの経験からどのようにノウハウをチームへ注入していくのか。宮﨑は、新チームと共に新しいキャリアをスタートさせる。