【ハンドボール】「アースフレンズ」が2022年よりJHLに新規参入、宮﨑大輔が監督兼選手として決意表明

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ハンドボール
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文 マンティー・チダ

Bリーグ「アースフレンズ東京Z」を運営するGWCは、ハンドボールチーム「アースフレンズ」が来シーズンから、JHL(日本ハンドボールリーグ)に新規参入することを発表した。

2021年6月にチームを旗揚げし、わずか半年のスピード承認。その「アースフレンズ」初代監督に就任したのが、選手も兼任する宮﨑大輔。プレイングマネージャーとして、新規チームをゼロから作り上げていく覚悟だ。

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数々の栄光に輝くも、近年はコロナ感染からケガとの戦いが続いていた

©マンティー・チダ

宮﨑大輔は大分県出身。高校時代には2年連続で得点王に輝き、卒業後はハンドボールの伝統校である日本体育大学へ進学する。2年次にはインカレ最優秀選手に選ばれる活躍で、チームを2年連続16回目の優勝へ導いた。

2001年には大学を休学し、協会から派遣という形でスペインへ。その後大学に復学するが、4年時に中退をしていた。

2003年にJHL大崎電気へ加入。その後は日本のエースとしてチームや代表を牽引し、数々の実績を残した後、2019年には大崎電気を退団し、日本体育大学の3年時に再入学。再び戦う舞台を大学へ移していた。

そんな宮﨑が、次なる戦いの場として選んだのが、新設されたクラブチーム「アースフレンズ」であり、選手だけではなく指揮官も兼任する。

「もう一度JHLのコートに立つのが、私の目標。肩の状態が良くないですけど、JHL参入の話を聞いて、急遽今月に肩の手術をしました。監督もしていますので、客観的に選手たちを見ることができるように、ケガをしている間も指導方法や練習メニューをしっかり学んでいました、選手たちがアースフレンズでプレーできてよかったなと思えるようなチーム作りをしていきたい」

宮﨑は、これまで様々なチャレンジをし、数々の困難を乗り越えてきた。2020年には、右肩を痛めて全治9か月以上と診断。来年からのJHL参入を見据えて、肩の状態がなかなか良くならないことから手術に踏み切っていた。

「以前は脱臼もあって、大学に再入学してから練習量が増えたことにより、徐々に肩が悪くなってきていました。最終的には投げるという動作までができなくなり、生活をする上で支障がでました。痛くて寝られないぐらいです」

肩を痛めてから回復途上の時に、更なるアクシデントが宮﨑を襲っていた。2021年1月、新型コロナウイルスに感染し重症化していたことで、コンディション調整がさらに混迷を極める。

「40歳になって、走るのが結構大変ですよ。今でもコロナの影響が残っています。もう息切れがすごくて。アスリートが重症化してはだめだと。半年ぐらい休んでいましたので、もう一度体を作り直さないといけない」

宮﨑は、もう一度戦う場となったJHLでの戦いを見据え、自らの体を再度作り直す決断をしていた。

「助けあうチーム作り」名門中村荷役のファンにも「アースフレンズ」を思ってほしい

©マンティー・チダ

宮﨑大輔には、新たに監督という肩書が増えた。選手兼任となれば文字通りコート上の監督となる。そして、チーム作りをする上で「助け合うチーム作り」をモットーに掲げていた。

「ハンドボールは一人ではできない。みんなで助け合うのは当たり前ですが、これをもっと意識してやっていきたい」

ずっと宮﨑を見届けてきたファンからすれば、驚くコメントかもしれない。「かつて、僕の口から『助けあい』という言葉は出ませんでした。そのあたりが、私の変わったところで反面教師ですね」と宮﨑は自虐する。

宮﨑大輔といえば、豪快なフォームで高い打点から繰り出される強烈なシュートが武器。

「選手時代は攻撃専門でしたから。現在は私の考え方も変わってきました。かつては、なんでこれができないのかを詰めていったこともありました。何点とろうが、負ける試合はあります。助け合いをできるチームは、どこの国を見ても強いです。東京五輪金メダルのフランス代表や全日本でも見えましたし、そういうチーム作りをしていきたい」とチーム構想の一端を明かす。

一時代を築いてきた選手であると同時に、新設チームで指導者としてのスタートを切る。負担になるのではないかと思われたが、宮﨑は「選手と切磋琢磨できると思いますよ」とこの役割を前向きに受け入れていた。

「選手がガンガン上げてきて、僕もガンガン上げてきたら、選手もやばい、やらないといけないということになる。それを自分の体をもって説明できるので。これやらないと、JHL本当に厳しい」と宮﨑は自らの体でJHLの厳しさをチームへ注入する覚悟だ。

宮﨑は、スペインリーグで最初にプレーした日本のハンドボール選手でもある。「アースフレンズを通して、再びハンドボールを世に出していけるのが本当にうれしい。以前はハンドボールをポートボールと勘違いされることもありました。もうそこからのスタートですから」とハンドボールの普及活動にも力を入れる覚悟だ。

かつては、現在も本社を大田区に構えている中村荷役(中村荷役運輸)がハンドボール部を所有しJHLに参入していた。1994年と1995年にはリーグ戦連覇を達成している。

「実は大田区に関わるのが初めてです。以前は、中村荷役というハンドボールチームが建て直す前の大田区総合体育館を使用していました。中村荷役は強くて、そのカルチャーがあるので、大田区でハンドボールを見せられたら。もしかしたら、当時を知る方が応援に来てくれるかもしれないので、ぜひ「アースフレンズ」を思ってくれれば」と宮﨑は当時を知るファンにメッセージをおくった。

宮﨑大輔の新たなる挑戦がここで始まろうとしている。大田区を中心に、城南エリアをホームタウンとする「アースフレンズ」がどのような成長曲線を描いていくのか。大田区としても、再びハンドボールの歴史が始まろうとしている。

アースフレンズは、新規クラブ名を公募している。これからのチームにマッチしたクラブ名の誕生に期待したい。以下のURLから応募が可能である。

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