文 マンティー・チダ
「SoftBank ウインターカップ2020令和2年度 第73回全国高等学校バスケットボール選手権大会」は26日、東京体育館で男子3回戦が行われた。
東海大学付属諏訪(長野)は報徳学園(兵庫)と対戦し、92-100で敗戦。
報徳学園のビッグマン#10コンゴロー デイビッドの高さとガード陣から繰り出された多彩な個人技にあと一歩及ばなかった。
引き離されても粘りを発揮し喰らいつくが・・・。
出だしから東海大学付属諏訪は報徳学園に2-10と先行を許していた。
しかし、残り6分50秒でタイムアウトを請求すると、ゾーンディフェンスから上昇のきっかけを掴む。
速いパス回しから#14髙山鈴琉が3pを沈めると、今度は速攻からバンクショットを決めるなど12-17と点差を詰めて、報徳学園ベンチにタイムアウトをコールさせた。
1Qから2Qにかけて東海大学付属諏訪は6点差で追いかけていたが、報徳学園のコンゴローにゴール下を支配されると、スティールから#20宇都宮陸にファストブレイクを決められて、21-31と点差は10まで広げられる。
しかし、東海大学付属諏訪がタイムアウトをコールすると、ここから粘りを発揮。
タイムアウトからすぐに打ち合いになったが、#3中川知定真と髙山が3pを連続で沈めて再び5点差まで接近。
その後も点差をキープするも、報徳学園コンゴローの高さに屈して、39‐54と15点ビハインドで前半を終了した。
3Q、報徳学園と互角に戦った東海大学付属諏訪。
4Qに入ると、報徳学園宇都宮のレイアップで引き離されて68-86とされたところで、東海大学付属諏訪は後半2度目のタイムアウトを請求。
後がない東海大学付属諏訪は、フロントコートからプレッシャーディフェンスを仕掛けて報徳学園のターンオーバーを誘う。
ここで髙山がファストブレイクを成功させると、流れは少しずつ東海大学付属諏訪へ。
中川がオフェンスリバウンドからジャンパーや3pで得点を稼ぐと、髙山もステップバックから3pを沈めて12点差まで詰めて追撃態勢へ。
東海大学付属諏訪は後半最後のタイムアウトをコールすると、髙山の3pを皮切りに最後の追い上げを見せるが、時すでに遅かった。
東海大学付属諏訪は報徳学園に92-100で敗れた。
コロナ禍において思考の持久力が体現できていた
東海大学付属諏訪高校は1回戦を不戦勝で勝ち上がり、前日は県立佐世保工業(長崎)との激戦を制してから、この日の報徳学園戦を迎えていた。
試合には敗れたものの、1年生を中心に報徳学園の高さと個人技に臆することなく挑み続ける。
指揮を執る入野貴幸コーチにとっても試行錯誤の連続だった。
入野コーチは東海大学卒業後、2005年から母校である東海大学付属諏訪(就任当初は東海大学第三)でコーチをしているが、今年は「コロナ渦の中で、自分たちと向き合うしかなかった」と話す。
「選手たちはどちらかというと、自分たちに打ち勝ってきた。これを高校生がするのは簡単ではない。様々な誘惑があっても、きちんとまっすぐに目標へ向けてやれたのが一人のアスリートとしてトップだと思います」と選手たちを大いに評価していた。
入野コーチは以前から「思考の持久力」について選手たちと話をしていた。
事ある毎に「考え続けなさい」と言い続け、選手たちは今大会を通してそれを「体現することができた」と言う。
そして、何より一番期待をかけていた2人の1年生、中川と髙山には大会前からこの日までとりわけ厳しく接していた。
「大会が始まる前から『2人のことはどこ行っても話すから』と彼らに話をしていました。1年生ながら、多くの期待をされている中であのようなパフォーマンスを出すことは容易ではない。3年生相手に心の強さやフィジカルが1試合持つわけですから。来年以降、もっとメディアから注目される中で力を発揮できるのが本物の選手だと思います。まだ第一歩ですが」と大会前から、メディアの力を借りて彼らに接していたのだ。
前日の試合終了後には「高校バスケで勝つことは簡単でない」と厳しい言葉を投げかけている。
「3年生と同じ思いでコートに立ちなさいと。これで負ければ引退と考えるのか、1年生だからと思うのかは全く違いますから。それを踏まえたうえで、この日はパフォーマンスを発揮できていました。もちろん浮き沈みはあります。前日は良くなかったけれど、今日は良かった。2人のスタートラインは高い」と1年生ながらチームの中心として戦ってきた2人に賛辞を贈る。
「高校バスケは育成と勝利の難しい場面で、今日は結果が伴いませんでしたが、次には結果が伴うように、日々目標へ向かわせて頑張らせたい」
視線の先はもう次の年に向けられていた。
「試合に負けたことから得ることも」中川知定真
1年生の中川にとっては、ウインターカップが初めてだった。
コロナ渦においてあるはずの試合が無くなってしまい、コンディション面で難しい局面に追い込まれていると思われたが、中川は「コンディションは最高の状態でした」と胸を張る。
「先生(入野コーチ)が選手たちの気持ちを考えて、なるべく当日の試合に近いシチュエーションで練習をさせてくれました」と入野コーチをはじめとしたチームスタッフが万全にバックアップをしていたのである。
初戦は不戦勝で2回戦が事実上の初戦となった。
「1試合目をやっていれば試合の感覚が掴めていたし、2試合目の入りはもっと良かったでしょう」と中川は話す。
この日も試合の入りは良くなかったが、タイムアウトをきっかけに立て直していた。
「すぐに修正して自分たちが思う通りのプレーができた」と追いかける展開からチームも巻き返していくが、報徳学園のポストプレイヤーであるコンゴローの高さの前に翻弄される。
「高さで劣っていても、どこかで勝てるところはあると思っていましたので、自分の得意なプレーをやり続けました。」と中川は臆することなく、得意の3pを打ち続けていた。
入野コーチからも「最後だから、思いっきり自分の得意なプレーを楽しんでやって来い」と助言をもらう。
中川は髙山とともに、1年生ながら大舞台で勝負を挑んでいたのである。
「この大会で得たもの、試合に負けたことから得るものはありました。負けていたディフェンス面のハリーバックや、オフェンスでスペースが空いたらドライブするとかを来年に生かしていきたい」と中川は今大会を通して、負けたことによって得た経験を持ち帰ることができた。
来年にこの舞台へ帰ってきたとき、中川はどんな発言をしてくれるのだろうか。
また一歩、大人のアスリートへ成長する中川を見てみたいものだ。